大森練習機空中衝突事故
1938(昭和13)年8月24日
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1938(昭和13)年8月24日8:50、羽田飛行場から飛び立った、日本飛行学校教官の藤田敏雄(23)と学生の伊藤文三(19)が搭乗した「J-BIDHアンリオ機」(2人乗り)と、同じく続けて飛び立った日本航空輸送会社の田中春男(29)、恵通公司委託の学生の酒井正(21)、そして青木亮策(25)が搭乗した「J-BJDOスーパー機」(3人乗り)が練習飛行中、大森区大森9丁目の高度150メートル上空に直角に衝突、片翼が取れる形で墜落した。「アンリオ機」は大森区森ヶ崎5782の芸妓屋宮本ハツ方の玄関と風呂を壊して、家の前の空地に墜落、搭乗の2人は即死した。「スーパー機」は大森区大森9-4561の山本人次郎経営の螺旋工場庭先に墜落、搭乗の3人が即死した。「スーパー機」には山本工場の職工と、山沢機械工場の20人など100人以上が救出にやって来たが、「スーパー機」はガソリンタンクから大爆発を起こし、救出の12人が即死した。また山本工場や大工の家が全焼、山沢工場も一部が燃えたが、40分で鎮火した。救出作業の多くの人が爆発に際してガソリンを浴び、そこに火災となったため、9月8日21:00までに82人が犠牲となった。最終的な犠牲者は85人とされている。



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